「R-1グランプリ2021 決勝」をリアルタイムで見ていて思ったこと
多分、本当のお笑い好きしか見ていない「R-1グランプリ」の話。
去年のM-1グランプリを見て、あれは漫才じゃないとか、正統派しゃべくり漫才の定義とか、そんな問題提起をしていた人たちすらも興味が薄いであろうピン芸人の祭典。
何を隠そう、この自分も決勝を毎年チェックする程度で、予選はほとんど追いかけていないからである。
ただ今年は色々な話題性があって、密かに注目はしていた。
ニューヨーク嶋佐がNSC在籍ぶりに出場したとか。
それもこれも、「芸歴不問」から「芸歴10年以内」へと、厳しすぎるレギュレーション改定がなされたことがきっかけだろう(嶋佐も10年目のラストイヤー)。
どこが厳しすぎるかというと、例えばM-1なら「結成15年以内」というルールがある。
これはつまり、例えばコンビの片割れが芸歴20年目の大ベテランであろうと、組み直しなら「結成1年目」として出場できるということであり、大会としての懐の深さ・柔軟さが表れている。
「芸歴10年以内」という厳しい範囲の狭さが理解できたであろうか。
新生R-1グランプリは、もうガチの若手ピン芸人しか受け付けない、若手のための賞レースになるべく、テコ入れが加わったのである。
もう11年芸人やっちゃってたらアウト。
皮肉なことに、R-1出場資格を失ったベテランピン芸人同士の即席ユニット「おいでやすこが」はM-1で爆ハネし、結果的にR-1の先見性の無さを露呈することになる。
以下はつたない私の邪推である。
R-1は「ぐらんぷり」とひらがな表記だったとき、ベテランおっさん芸人や、実力あるコンビの片方、そのとき話題の芸人などがファイナリストに名を連ね、なかなか無名の若手に席が譲られない状況が続いていた。
一方世の中では、「第七世代」が台頭し、TV各局やメディアもそういった若手をどんどん発掘して、芸人の世代交代を進めていこうという動きがずっと続いている(またその反動でおっさんにフォーカスが当てられつつもあるが)。
大会の格やコンテンツ力はM-1、KOCに比べると一段劣り、世間の注目度も高くない。それは視聴率の振るわなさが示している。
スポンサーが降りたとかなんだとかで、番組継続の危機にも立たされていたようだ。
では、ここに改革を加えるとしたら?
若手に媚びるしかないでしょう!そしてM-1をパクるしかないでしょう!
かくして、関テレはM-1に近い構成・演出を意識して「R-1グランプリ」とカタカナ表記に直して、若手発掘賞レースとして価値底上げを図ったのだった。
MCには過去R-1にも貢献した霜降り明星を迎え、お笑いに理解ある女優・広瀬アリスを隣に配置。
審査員もより芸人が納得する、陣内智則 / 友近 / ホリ / 古坂大魔王 / 野田クリスタル / 川島明 / ハリウッドザコシショウの布陣。
お笑い好きからしたら、彼らがどんな審査をし、どんなコメントを残すのかはかなり気になるところである。
そしてクリーピーナッツの曲使用。
才能がバレる!的なことを歌った、賞レース向きの熱いナンバーである。
だが、最初の広瀬アリスの緊張感を欠く番宣、Twitter投票の説明で不穏な空気が流れ始める。
そしてクリーピーナッツのテーマソングを再利用した、あまりネタ前の雰囲気と合ってない出囃子。
どうしたどうした?
1人目、マツモトクラブのネタ披露後、なぜかいきなりコメントを振られてしまうザコシさん。
それはまあいいのだけれど、1人にだけ聞いて終わり。
えーーー!
他は?野田クリスタルも辛めの評価入れてるよ?聞きたいよ?
そこで、「ああ、時間が押してるな?」という予感がしてくるのである。
案の定、審査員のコメントは1人につき1人ずつ!
おいおい!ギャラの無駄遣いだろって!
Twitter投票も良くわかんねえよ!
中略
そして、ゆりやんの優勝。
芸歴不問のときからずっと出まくってたし、そりゃ強いよね。
フリップ芸多めの中、やはり「見せ方」という点で際立ってたし。
ゆりやんガチ泣きしてたけど、あのあと絶対変顔するくだりあるってお笑い好きなら分かるはず。
でもカメラが全然寄らない寄らない!
おいおいおい!お笑い番組見たこと無いんか?!!
それで、優勝ネタのハイライトとかいう地獄のお滑りタイム。
ワイプにはそれを涙目で見るゆりやんと、審査員。
誰向けなんだよ!
実情は地方局とかの放送時間の兼ね合いで調整のため毎年やってることらしいが、いやいや、だったら審査員コメントとかゆりやんへのインタビューとかそういうことに時間を割けばいい。
あと、中継で申し訳程度に消費されたおいでやすこが。
R-1に捨てられ、爆売れし、再びR-1に雑に扱われる2人のおっさん。
そこに愛はあるんか?
─と、演者よりもテレビの演出や技術的な面でのアラが気になってしまう、珍奇な新生賞レースであった。
何はともあれ、これは大会議にかけられて、大人たちが猛省したはずだから、来年こそはさらに熱い感動を期待したいものである。